心と体の理想的な成長は、子供達の日常の遊びの中にこそ潜んでいます。
そのための「運動あそび」と「遊具」創りに、私は情熱を注いできました。
安田祐治先生は教育委員会の指導主事、小学校校長など、長年教育現場の最前線で子供達と接しながら「子供と遊び」の関係を追究。60年以上前から、当時の幼稚園・保育園の幼児の運動遊びを研究しはじめた世界でも数少ない専門家です。
昭和47年、安田先生が小学校に校長として赴任された当時の幼稚園・保育園・小学校は遊具の数が少なく、また、その殆どが体力強化のための訓練用、安全第一の公園遊具、見かけのデザインが主体である等、子供達の発達や体力、活動意欲に合わないものでした。そこで、専門で研究されてきた「教育における遊びの大切さ」を訴え、子供達が「自らの発意で取り組み熱中できる遊具」の開発と改良、ご自身の学校での実践に長年尽力されました。
教育学、体育学、霊長類学…人間の成長に関する学問分野は数多くありますが、子供の成長の側面から遊びを実践的に研究したものはほとんどありません。学者は子供の遊びの現場を知らず、現場の教員の多くは子供との触れ合いの中から得た知見を理論化することが少ないためです。そうした中、安田先生は理論と実践に基づいて確立された「安田式」による指導法と、「安田式遊具」の両方を提供し、教育界に多大の貢献をされています。
安田先生のご活躍は、多数のメディアで紹介されてきました。
昭和14年3月23日 | 京都府師範学校 本科第一部 卒業 |
昭和18年12月9日 | 京都府師範学校 研究科(三ヶ月)終了 |
昭和14年3月31日 | 師範学校・中学校・高等女学校教員(体操科)免許(文検) |
昭和24年9月1日 | 高等学校普通二級教員(保健体育科)免許 |
昭和29年12月1日 | 中学校普通一級教員(保健体育科)免許 |
昭和31年3月31日 | 小学校普通一級教員免許 |
昭和41年3月30日 | 幼稚園普通二級教員免許 |
昭和14年3月31日 | 京都府竹野郡豊栄尋常高等小学校訓導 |
昭和17年3月31日 | 京都市朱雀第八国民学校訓導 |
昭和21年4月5日 | 京都師範学校附属国民学校訓導後、制度改定により京都学芸大学附属京都小学校教諭 |
昭和31年4月1日 | 京都市立貞教小学校教諭 |
昭和31年4月1日 | 京都市教育委員会指導委員後、制度改定により教科指導主事、さらに指導主事となる。 |
昭和40年1月 | 京都学芸大学 非常勤講師(体育専門相撲)兼職 六周年 |
昭和47年4月1日 | 京都市立東和小学校校長 |
昭和49年4月1日 | 京都市立大宮小学校校長 |
昭和51年4月1日 | 京都市立本能小学校校長 |
昭和54年3月31日 | 退職 |
昭和55年4月 | 京都教育大学 非常勤講師(体育小学校専門) 一年間 |
昭和51年11月2日 | 日本キリスト教青年会同盟より永年の体育奉仕により感謝状 |
昭和52年11月29日 | 財団法人日本学校体育研究連合会(後援文部省)より表彰状 |
昭和54年5月9日 | 京都市小学校体育研究会より感謝状 |
昭和56年10月11日 | 京都府スキー連盟創立五十周年記念式典において表彰状 |
たのしい体育遊び ―遊び方と指導案― (理論篇並に各論 P2-17 P40-50 P76-84 P102-113 P129-144) |
昭和43年 昭和49年 |
自費出版 KKタイムス |
安田祐治篇 他四名共著 |
小学校教材・教具の活用 (開発遊具の設計図と写真 P93-94) |
昭和46年 | 帝国地方行政学会 | 梅本二郎他編 |
幼児教育関係 | |||
運動会の種目(集)企画・編集 | 昭和44年 | 体育遊び研究グループ | 安田祐治編 |
体育遊びを楽しく段階的に扱う指導 (第三回体育遊び講習会) |
昭和50年 | 体育遊び研究会 | 安田祐治編 |
開発・改良の観点 | |
●体力・技能の訓練用具から、楽しい遊び用具へ | ●遊びを活発化する機構 |
●技術的興味を高める構 | ●多数同時使用、集団遊び化の機造 |
●多数遊具の組合わせ、運動場の有機化のためのすべての施設の移動可能化 | ●スポーツ用施設の遊具兼用化 |
西日本中等学校器械体操選手権大会 ジュニヤ一部 団体優勝(京都師範チーム) | 昭和10年 |
全日本中等学校器械体操選手権大会 低学年の部 団体優勝(京都師範チーム) | 昭和11年 |
明治神宮大会兼全日本中東学校器械体操選手権大会 高学年の部 団体三位(京都師範チーム) | 昭和12年 |
明治神宮大会兼全日本中東学校器械体操東西対抗競技会 団体優勝(西軍チーム) | 昭和12年 |
西日本中等学校器械体操選手権大会 シニヤ一部 団体二位(京都師範チーム) | 昭和12年 |